「アルパカは野生にはもういなくて、毛なんて人間に刈られないとずっと伸び続けるんだよ」「へぇー。あれ、なんだっけ、他にもいたよね」「羊?」「そう、羊だ」

 若い頃の話をしようと思う。わたしがまだほんの子羊だったときの話だ。小さくか弱い存在ではあったが、わたしはわたし自身と自由を愛していて、活力に満ちていた。その当時、わずかな間だけ牧場を離れて一匹きりで生活をしたことがあった。
 別に何か嫌なことがあったわけではない。ただ、好奇心が木製の柵の外側の世界に向いていただけだった。牧場を出るときはわずかの間の家出くらいのつもりだったが、興味の赴くままに過ごしているうちにしばらくの月日が流れていた。牧場から離れて一匹で暮らしたのはそれが初めてだったが、少なくとも生きるのに困ることはなかった。一帯の狼は牧場主によって全て殺されていた。羊と人間だけが暮らすステップ地帯。不自然な楽園。エサとなる若草はいくらでもあった。ステップ地帯はあまり雨が降らず、昼夜の温度差も激しいが、それもつらくなかった。無限に伸び続けるわたし自身の柔らかな羊毛がわたしの身体を包んでくれていた。わたしは日の出ている間は辺り一帯を歩き回って過ごし、夜になると牧草地に寝転がってただの白くて柔らかな塊になった。冷気のお陰で空気は澄んでおり、夜空を見上げると星がよく見えた。いくつかの星をつないで絵を描いた。誰に見せるでもないいくつかの詩を書いた。ステップの外に関する詩だった。そうして何か月もを過ごした。
 結局、わたしが再び柵を乗り越えて牧場に戻ったのは、夏が過ぎて、秋が熟し、朽ちて、冬の風が吹き始めた頃だった。かなりの時間が経っていたから、毛刈りをされていないわたしは巨大な綿毛に四本足が生えたような奇妙な格好になっていた。その姿を仲間に見られるのは恥ずかしく、みんなが寝静まった頃を見計らってこっそり牧場に帰り、毛を刈ってもらうために牧場主の小屋のドアを叩いた。
 殺されるかもしれないと思ったが、牧場主はわたしを殴ったりはしなかった。真夜中だったが、牧場主はわたしを毛刈り場に引っ張り出し、わたしの伸びきった毛を根元から乱暴に刈っていった。肌が傷ついて痛かったので少し暴れたが、牧場主は強い力でわたしの首の辺りを掴んで離さなかった。
  10分以上かかって毛刈りは終わった。牧場主はわたしを置いて小屋に戻っていった。体中の皮膚がジクジクと痛んでいた。わたしは毛刈り場の隅に積まれたわたし自身の羊毛を見ていた。外にいたときは自分で見ることが出来ないために気が付いていなかったが、白くて柔らかだった羊毛はいつの間にか泥や葉っぱが絡んで汚れ、黒ずんでいた。もはや売り物にはならない。藁のクズや何かと一緒にして、ゴミ同然のようにして端によけられていた。毛刈り場は吹きさらしになっており、裸になった身体には冬の冷気が堪えた。わたしはわたしを包んでくれていたその羊毛を口にくわえて牧舎の中に持ち帰った。風で草がそよぐ音がしていた。夜はまだ更けていなかった。わたしは暖かな藁の中に身体を横たえ、汚れた羊毛を抱きしめた。
「おやすみ、世界」とわたしは口に出した。
 羊毛の中に顔をうずめながら、わたしはこの世界を包む、柔らかで大きな力のことを思った。それから何か小さな願い事をして、そのうちに眠りについたのだった。