ロウソク(書きかけ)
ロウソクの火はこれまでの来し方を表している訳ではない。残りの命の長さを表している。ほんの百年ちょっと前まで、この国の多くの人間が40歳で死んでいた。短命の人種で、自然な寿命がそれくらいだった。1歳の誕生日には39本だったロウソクが、2歳の誕生日には38本に、3歳の誕生日には37本になる。そうして1本ずつ減っていったロウソクは、40歳で0本になる。短命ゆえに、常にぼくらは自分があと何年生きられるかを意識しながら生きる必要があったのだ。長い年月を経て混血が進んだ。国民の平均寿命は60歳近くまで延びた。しかし、1歳の誕生日に灯されるロウソクの数が59本になることはなかった。ぼくらは40歳で死ぬ用の生き方だけしか知らなかった。40歳の誕生日になると、親族を全て集め、命の炎が1本もない暗闇の中、自分が死んだあとのことをよく言って話す。ぼくらに用意されていたのはそういう生き方だった。
Twitterに書いたお話。
何かひとつ物や言葉を指定してもらい、それにまつわる140字のお話を書く、というものです。
新しい順に並んでいます。
地球儀
https://twitter.com/Luzwell/status/552503505408516098
クリスマス
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オリオン座
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寝ぐせ
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値段
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労働
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星と虹
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爪切り
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冷たい雨
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ガスコンロ
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ベルト
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星
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聖書
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清涼飲料水
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香水
https://twitter.com/Luzwell/status/270517154368090112
封筒
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星
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計画停電
https://twitter.com/Luzwell/status/217953423801327616
Excel
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冷たい
https://twitter.com/Luzwell/status/203873915544682496
花束
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嘘
https://twitter.com/Luzwell/status/201234966724608000
メトロノーム
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嘘
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砂糖
https://twitter.com/Luzwell/status/186428087330816001
トースター
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中和
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偏食
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雪だるま
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雪
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禁断の果実
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眠り
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穴
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音
特に行き先があるわけではなかった。5分ほど歩くとファミリーマートがあり、そこでプリンを買って帰ることにした。自動ドアの前に立つと、チャイムが鳴ってドアが開いた。傘を閉じて店内に入った。店内放送で流行のアーティストが何事かを話していた。私のほかには雑誌を立ち読みしている男性客がひとり。レジには60を過ぎた頃の初老の男性が立っていた。プリンを取ってレジの前に立った。店内の調子のいい放送に反して、その店員の手は奇妙なほど震えておぼつかなかった。何かの神経の病気なのかもしれなかった。私は店員の顔のシワや、汚れた爪の先を見ていた。釣り銭を受け取るとき、その震える両手を少しだけ握るようにして釣り銭を受け取った。ありがとうございました、と言う店員の声はあまりにも小さく、音と呼べないほどに空気を少し震わせただけだった。
水中に飛び込むと、世界から自分だけが切り離されたような感覚があると、あなたは言った。私は、水中にいる時間は何か特別な時間なんでしょうかと尋ねた。音の届かない、現実から遠く離れた孤独な空間は、世界に対してどんな意味を持っているのかと。あなたは答えた。それはわからない。ある時間が特別かどうかを決めるのは、神様でも物理法則でもない。それがどんな時間でも関係ない。未来の自分がその時間をどのように思い出すか、ただそれだけなのだと……。
ベッドの中で、明日の私は今日の雨の夜のことをどのように思い出すだろうかと考えていた。3年後の私はどうだろう? 5年後の私はどうだろうか? 私はあのコンビニの店員のように、誰かに向けて囁くようにして小さく「ありがとうございました」と言ってみた。小さく、囁くように口に出すと、どんな言葉も遥か遠く、祈りのように聞こえるのだった。
「アルパカは野生にはもういなくて、毛なんて人間に刈られないとずっと伸び続けるんだよ」「へぇー。あれ、なんだっけ、他にもいたよね」「羊?」「そう、羊だ」
別に何か嫌なことがあったわけではない。ただ、
結局、わたしが再び柵を乗り越えて牧場に戻ったのは、夏が過ぎて、秋が熟し、朽ちて、
殺されるかもしれないと思ったが、牧場主はわたしを殴ったりはしなかった。真夜中だったが、
10分以上かかって毛刈りは終わった。
「おやすみ、世界」とわたしは口に出した。
羊毛の中に顔をうずめながら、わたしはこの世界を包む、柔らかで大きな力のことを思った。それから何か小さな願い事をして、そのうちに眠りについたのだった。
たとえば地球が環境汚染とかで打ち捨てられて全ての人類が別の星に移住するとなったときに、誰もいなくなった静かな地球で幽霊たちは何を思って暮らすんだろう。それでも誰かを恨み続けられるのだろうか。
人類が地球を離れてからどれくらいの時間が経ったのか、とうの昔に時計の止まったこの部屋に残された私にはわからなかった。もともとものぐさだったせいもあって何かに日付を記録することもしていなかった。環境汚染を逃れて宇宙へと脱出していった人類は、次の星を食いつぶして、さらにその次の星を食いつぶした頃かもしれない。人類が去ったあとに地球にわずかに残されていた森は、長い時間をかけてその領域を広げていき、いつしかかつての街の地面を植物の根が這った。地面を這っていた植物はさらに長い時間をかけて、人類が残していった建造物をゆっくりと飲みこんでいった。それは私のいる部屋がある、この元・高層マンションも一緒だった。私はこの部屋でずっと前に殺されて、それからずっとここにいた。
「私はこの部屋でずっと前に殺されて、それからずっとここにいた」
私は声に出してみた。私はこの部屋から出ることができない。地球からすべての人類がいなくなろうとしたその前日、あの男が私の首を絞め、私の魂はこの部屋にジワリと焼き付いてしまった。それから私は誰もいなくなった地球のほんのわずかなスペースの中で、フヨフヨとした動きをしてみたり、歌ってみたり、たまに窓の外に訪れる動物たちにハローと言ってみたり、色々なことをして日々を過ごした。書棚には読まないままにしていた本が何十冊もあった。レコードのコレクションもたくさんあったが、当然電気は止まってしまっていて鑑賞することができなかった。
すべての面白い動きを一通り試して、知っている歌を全部うたって、すべての本を十回以上読み返して、すべての楽しいことをやり尽くしたあとの悠久の日々の中で、私は「私を殺したあの男はもう死んでしまったんだろうな」ということを考えた。きっとずっと昔に死んでしまった。どこか遠い知らない星で死んだのだろうな。どんな風に死んだんだろう。おじいさんになるまで生きて寿命で死んだのかな。それともあの男のことだから、誰かの恨みを買って殺されてしまったんだろうか。だとしたら私と同じようにどこか遠くの星のどこかのアパートの一室にその魂が焼きついていて、すべての楽しいことをやり尽くした日々の中でたまに私を殺したときのことを思い出したりするんだろうか。殺された直後はそれこそ怒り狂ったけど、ずっと長い時間が経過して、あの男は私をここに残して遠く知らない星で死んでしまったのだと思うと、怒りはいつの間にか消えて、緑色の星に置いていかれたさみしさだけが残っていた。私はもう何度読んだかわからない小説を閉じ、机の上に置いた。「本当は何も怒ってないんだよ」と小さく口に出した。怒っていないからもう一度お話をしよう。
チチチという音がして我に返り、窓の方を見ると、こんなところまでリスが登ってきていた。「ハロー、道に迷ったの?」と尋ねると、彼は「こんな高いところまで登ってこれるのは俺くらいだぜ」というような動きをして、それからどこかへと去っていった。
「ハロー、動物たち」と声に出した。
ハロー、ハロー。静かな地球に残る誰かの魂。
何が嫌だったの?
パンケーキを焼いているときにリビングで電話が鳴った。ぼくはコール音に耳を澄まして、確かに電話が鳴っているということを確信したあと、少し迷って、フライパンの火を慎重に弱くした。キッチンを見回して、戸棚の取っ手にかけていたタオルで丁寧に手を拭き、リビングへと早足で向かった。鳴り続ける電話を取って「ハロー、エヴァンスです」と言った。
「ハロー、エヴァンス」と電話の相手は言った。一般的にはここで”名乗り”があるものだが、相手は名乗らなかった。声からするとケイトかキャスだった。ケイトとキャスは、4番街に一緒に住んでいる仲良しの二人組だった。二人とはもう一年以上も連絡を取っていなかった。「ねえ、今日の夕飯はうちに来ない?」とケイト(もしくはキャス)は言った。ぼくは受話器を持ち替えて、キッチンの方を見てから「ああ、行くよ」と言った。「ポーラは?」と彼女が言った。「ポーラは元気にしている?」
「ああ、元気にしているよ」とぼくは答えた。彼女の声に重なって、ぼくの耳には、パンケーキに茶色い焼き跡がつくチリチリという音が聞こえていた。加えて、リビングには砂糖が焦げるときのあの直接的な甘い匂いが漂っていた。ぼくは意味なくメモ帳をパラパラとめくって、それからもう一度キッチンの方を見た。「今、パンケーキを焼いているんだ。悪いけど切るよ、そちらには19時には着くから。ポーラも連れていく」と早口で言った。彼女はぼくの言うことが聞こえていないみたいに、変にゆっくりとした言い方で「そんなに焦らないでよ。久しぶりなんだからさ、まずは助走みたいなものが必要じゃない? 会う前の練習というかさ。ねえ。メレンゲ、パンケーキかな? パンケーキだってさ、ちょっと焦げたのがおいしいよ。少し苦味があるくらいの方がさ。甘いだけじゃなくてね。ねえ、ところで、ポーラも連れてくるんだよね?」と言った。ぼくは苛々して相手の名前を呼んで話を中断しようとしたが、今さら「ケイト? それともキャス?」と確認するわけにもいかなかった。ぼくは自分の左手の爪をちらりと見てから「悪いね、人に食べさせるものだから焦がしたくないんだ、切るよ」と言って受話器を置いた。キッチンに戻ってフライパンのパンケーキをひっくり返すと、やはり少し焦げてしまっていた。ぼくは少し迷ったが、もう一枚を焼くことにして戸棚から新しい材料を出した。
寝室に行くと、ポーラがベッドにうつ伏せに寝転がっているのが見えた。近づいてみると、Cosmopolitanの数ヶ月前の号のグラビアページを広げたままで眠っていた。ぼくは眠っているポーラの耳元に口を近づけて、「パンケーキが焼けたよ」と言った。ポーラはもぞもぞと身体を動かして、寝ぼけたように何かをうめいた。口元に耳を近づけると、「パンケーキ?」と言った。その言い方のお陰で、ぼくはそれほど嫌な気持ちではなくなった。ぼくは眠っている人を起こすのがそれほど嫌いではなかった。
ぼくたちはパンケーキを食べたあと、いつも通りに仕事をして、ほとんど無為に昼間の暇を潰した。ポーラの方はよくわからないが、ぼくの方の仕事は正直あまりうまく行っていなかった。発注元が納期を間違えていた。愛用していたサンダーが異常音を立てて回らなくなった。回転機の中のシャフトが金属疲労で曲がってしまったらしく、手で修理することは出来なかった。部品が届くのは早くても来週の月曜ということだった。仕事場から帰ると、「仕事はどう?」とポーラが尋ねてきた。「まずまずだよ」とぼくは言ったが、ポーラはあまり興味がないようだった。
春先とはいえ、夕暮れのストリートはまだ肌寒かった。アルコールを飲めないポーラが車の運転をした。道は空いていて、ケイトとキャスの家には19時の少し前には着きそうだった。運転中、ポーラはあまり喋らなかったが、ハンドルを叩く指の動きで機嫌がいいのはわかった。ストリートは暗くなり始めたばかりでまだ街燈の灯る時間ではなかったが、ポーラは車の前照灯のスイッチを入れた。仕事帰りの男の影が石畳に長く伸びるのを見た。30分ほど走り、4番街の角を曲がった。ケイトとキャスの家は4番街のずっと奥の方にあって、ポーラは道端に眠る猫を轢かないようにしながら、注意深く車を止めた。雨が少し降っていた。ぼくたちは駆け込むようにして玄関に向かい、ドアを叩いて数秒待った。しかし反応はなかった。「ケイト、キャス。エヴァンスだ」とぼくは言った。「濡れちゃう」とポーラが言った。もう一度ドアを叩こうとしたとき、ドアの向こうからクスクスという小さな笑い声が聞こえ、それから「パンケーキを焼いているからちょっと待ってね」と声を掛けられた。「パンケーキ?」とポーラが言った。ポーラは今朝の電話のことを知らなかった。「おい、ふざけるなよ」とぼくが言うと、錠が外れる音がしてドアが開けられた。ドアを開けたのはキャスで、そのすぐ奥にケイトが立って笑みを浮かべていた。ケイトはポーラの姿を上から下まで眺めて、それからぼくの方に向かって「ごめんね、悪ふざけが過ぎたね、でもだって、エヴァンス、あなた今朝の電話がとても冷たかったじゃない?」と言った。「電話? もう、エヴァンスが何かしたのね」とポーラがぼくを見て言った。ぼくは何も言わなかった。「パンケーキはないけど、その代わりミートピザがあるから、まあまあ上がってよ」とキャスが言った。ぼくとポーラは自分とお互いのコートの雨粒を軽く払って中に入った。
暖房が利きすぎているのか、肌寒い外と違って家の中は暑いくらいだった。しばらく振りに会うこともあり、ぼくとポーラはそれなりに”正しい服装”をしていたが、ケイトとキャスは気の置けない友人に会うにしても少しラフすぎる格好をしていた。ありていに言ってしまえば、彼女たちは少々はしたない恰好をしていた。
ぼくたちは食事をしながら、仕事のことや、共通の知り合いについて話をした。もう一年は会っていなかったから、話題は探すまでもなくいくらでもあったが、ぼくは乗り気になることができなかった。ケイトやキャスは時折ぼくの膝に手で触れてきて、それをできるだけ自然に払わなければいけなかった。ミートピザはとてもボリュームがあり、脂でギトギトのシロモノだった。ミートピザは早々になくなったが、ドリンクとワインはケイトとキャスがキッチンに向かうたびに無限とも思えるくらいに出てきて、会話に乗り切れない分、ぼくはただワインを飲み続けていた。ぼくたちが座る四人掛けのテーブルの中心には赤色のキャンドルが置いてあった。香料は入っていないようで、ロウの溶ける独特の香りがしていた。ポーラはオレンジジュースを少しずつ飲んでいた。「ああ、おなかいっぱい。久しぶりに会えてよかったわ、ケイト、キャス」とポーラは言った。
「昔のことを覚えている?」とケイトが言った。「どのくらい昔のこと? ハイスクール? それとももう少し先のこと?」とポーラが尋ね返した。「大学の頃のことよね? ねえ、ケイト。あの頃のエヴァンスのことよね? 運動も勉強も一番だった頃の、秀才だった頃のエヴァンス。英文学をやっていた。優等生だった」とキャスが言った。
夜も深まってきて、話の種も尽きかけているように思えた。帰るには良い頃合いだとぼくは思った。声を出しかけたとき、「ちょっと暑くなってきたわね」と言ってケイトが席を立ち、窓を少し開けて戻ってきた。窓から吹き込んだ風がキャンドルの炎をわずかに揺らした。キャスの長い髪も同じように風に流れるのが見えた。「ねえ、泊まっていったら?」とキャスが言った。キャスは自分の髪を後ろで括るようなしぐさをした。ケイトも「そうね、話したいことがいっぱいあるわ」と言った。ぼくはポーラの顔を見たが、ポーラは満更でもなさそうな表情をしていた。「ちょっとワインを飲みすぎたみたいだ」とぼくは言った。「明日も仕事があることだし、もうそろそろおいとまさせていただこう」と言って立ち上がり、掛かっていたコートに手をかけたが、足にうまく力が入らずにそのまま衣紋掛けごと床に倒れてしまった。ポーラの小さな悲鳴が聞こえた。「ねえ」と再びキャスが言った。「泊まっていったら? エヴァンス。昔の話をしようよ」とケイトが言った。それに同調するようなポーラの声が聞こえた。ポーラではない誰かがぼくの肩に手をかけるのがわかった。床に這いつくばり、床板がグルグルと回るのを眺めながらも、ぼくは何とか絞り出すように「家に帰るよ、ポーラ」と言った。そこで記憶が途切れた。
気が付くと、ぼくはポーラの運転する車の助手席に乗っていた。ひどく気分が悪く、ミートピザを今すぐ吐き出してしまいたかったが、少し開いている窓から吹き込む夜風は冷たく、心地よかった。「何が嫌だったの?」とポーラが小さな声で言った。「昔のことを話されたのが嫌だったの? 仕事がうまくいっていなかったの? あなた、喚いて大変だったのよ。私、あなたと話をしたいわ。今は話せる? 話をするには酔いすぎている?」 ポーラの声は少しずつ大きくなっていった。ぼくは痛む頭を押さえながら、「せっかくの食事を台無しにしてしまって申し訳ない」と言った。吐き気をこらえるために、助手席のシートの中で身体を運転席側に横向けた。ポーラは前を見つめたまま運転していた。窓の外を行き過ぎる街燈がポーラの横顔を断続的に照らしていた。ぼくは言うまでもなく彼女のことを愛していたが、彼女にぼくのすべてを説明し、そして理解を得ることはあまりにも億劫だった。「大丈夫、家に帰ったらパンケーキを焼くよ」とシートに身体を沈めたまま小さな声で言った。「パンケーキを焼く、大丈夫、パンケーキを焼くから、それを食べてもらえれば、受け入れてもらえればぼくは大丈夫だから」と繰り返した。
マリスミゼルはお好き?
(*'-') 私には冷たいのにあの子には優しいよね。
( ´_`) そうかな。
(*'-') そうよ。
( ´_`) 酔っ払いと子どもには優しいんだよ。
(*'-') 嘘。タバコを吸う女が嫌いなんでしょ。
( ´_`) エー。
驚いてしまった。
人が人に抱くイメージは、空想あるいはどれだけ好意的に言っても推測に過ぎないなってよく思う。僕がどんな人間か、あなたがどんな人間か。それらのイメージは正しいかもしれないし、正しくないかもしれない。でもそれは正しくても正しくなくてもどちらだってかまわないって思う。僕らは信仰で結びついているわけではないのだから。
もぎたてドロップ
(*'-') 冷たい!
( ´_`) あら、雨かな
(*'-') どうだろうね
どうだろうねもこうだろうねも空から降ってくるのなんて雨しかないじゃないと僕は言った。
彼女が僕の視野の狭さを嘆くのに僕はうんうん頷いて、こういう夜が続くといいねみたいなことを言った。
彼女は僕の浅はかさがあまり好きでなかったけど、その夜は何というかあまり悪くない雰囲気だった。
( ´_`) 好きよ
(*'-') あら、ありがとう
( ´_`) 女の子に好きって言うのは得意なんだ
(*'-') なんてやつだ
気分のよい夜なので、星がもう2、3個くらい流れてもいい。
おてがみかくよ
私はかつて彼女に手紙を書いたことがあった。女の子へ手紙を書いたことがなく、さらに言うと人から人に送られる手紙というものもそれほど読んだことがなかったので、私が見よう見まねでどうにか作り上げたそれは、およそ練達したものとは言い難く、説明するのも恥ずかしいので詳細は省くが、愛を告げるべき相手へ送る手紙としての凡そ基本的な作法もなっていなかった。ただひとつ、私が当時熱狂していた映画の台詞を無断で借用した箇所があり、その部分だけは石炭にまぎれたブラックダイヤモンドのように光沢を放っていた。私の目の前で手紙を読んだ彼女は、その部分にサッとアンダーラインを引いた。当時、私はそのことがたまらなく嬉しかった。
カフェを出て、外苑東通りを青山方面へと歩いた。もう夕暮れに入ろうというときだったが、腕時計を修理に出してしまっていて時間が分からなかった。彼女に訊くのもなぜか気恥ずかしく、ぼくは特に話題もなく、さっきのカフェのコーヒーはそれなりに美味しかったのでまた行こうというようなことを話していた。時間が分からないと途端に物事の現実味がなくなる。現実が希薄になり、距離を話していくと、訪れるのは強い浮遊感だ。浮遊感の中で不安になり、私は彼女の手を取ろうと思うが、彼女が以前そのことを私の弱さだと表現したことを思い出してやめた。私の現実味とはつまり社会に属しているということで、社会に属しているということは時間を気にするということだ。彼女とのセックスのとき、私は社会に属していない。小説を書いているとき、私はそのようなことをよく考える。私の書いた原稿が金になり、人々の時間を奪っていく。人を社会から孤立させることで私は孤独を紛らわしている。そして決まって私は浮遊感のことを考える。身体の隅々までヘリウムガスを注ぎ込まれたような、誰かに手を握ってもらっていなければ、ふわふわと浮かび上がって、ゆっくりと地上を離れて行ってしまう。誰かに右手を握っていてほしい。私は浮遊感を恐れないために彼女と過ごしているのか?
青山一丁目に差し掛かったあたりで、彼女が「どこへ行くの?」と聞いた。私は物想いに耽るあまり、自分がしばらく黙っていたことに気が付いた。「ごめん、歩き疲れたよね?」と私が訊くと、「ちょっと疲れたかな」と彼女は不機嫌に答え、私たちは地下鉄への階段に向かった。私は、彼女が私の手紙に引いたアンダーラインのことを考えていた。
―――――
( ´_`)帰ったら手紙を書くよ
(*'-')誰に?
( ´_`)あなたに
(*'-')そう
( ´_`)一緒に読もう
(*'-')いいね
―――――
手紙を書くよ。
日はまた昇る
ヘミングウェイの「日はまた昇る」という中編小説が面白いのだけど、面白いことだけを覚えていて、内容をはっきりと思い出すことができない。中心人物であるジェイクは、確か戦争で受けた傷が原因で性的不能者になった男だった。ジェイクと、パリに住むその友人たちは、皆でスペインの牛追い祭に出かける。バスク人たちは牛皮をなめした袋に赤ワインを入れており、まるで乳を搾るように口のなかにワインを注ぎ込む。
「中学のときに好きだった先輩がいてね、すごく好きだったことは覚えているのだけど、どういう人だったのかはちっとも思い出せないの」
「バスケ部だった? サッカー部?」
「ううん、確かね、水泳部だった。好きになった場所がプールだったから、学校の、25メートルプール」
ぼくはジェイクのことを考えていた。はっきりと思い出すことができないが、とても“もどかしい”男だった気がする。女性に対してそういう態度を取るシーンがあった。
「体育の授業で一緒になったのかもしれない」
「でも、学年が違ったから、授業は一緒じゃないはずよ」
「学年が違ったというのは確かなの」
「うん。ジャージの色がちがったの」
ある人の持つすべての要素を積み重ねていくとその人そのものになるけれど、今回はどうもそういうわけではなさそうだった。
「プールに入る前に、塩素に浸かるじゃない。消毒って言ってさ。わたしはあれがすごく苦手だったのだけど、そこでその先輩がね、『そんなの入らなくていいよ』って言ったの。今思うと全然根拠なんてないのだと思うけれど、それでわたしはすごく救われちゃったのよ。神様か仏様かって思ったのよ。わかる?」
「わかるよ」
彼女が話しているのは、切り取られたシーンについてであり、先輩個人のことではないから覚えていないのも仕方ないし、先輩が水泳部だというのも単純なイメージに過ぎないと話すと、「そうね」と頷いて、特別興味はなさそうだった。
だいじょうぶ、あなたが眠るまでずっと起きてる。
なんと 本のページに キメラのつばさ がはさまっていた!
ラズエルは キメラのつばさ を ふくろに入れた。
大変今更であるのだが、DSのドラゴンクエスト5をやっていた。
今はサラボナで、フローラの結婚相手探しイベントをしてるところです。
お金持ちのルドマンが、娘であるフローラとの結婚の条件として、「ほのおのリング」と「みずのリング」を取ってくることを男たちに要求します。
(*'-') 私のために そんな危険なことをしないでください!
と言っていたフローラも、主人公が結婚相手候補として出席しているのを見つけ、
(*'-') あら あなたも 私と 結婚を……?
なんて満更でもない感じで制止をやめてしまいます。ひどいやつだ(`д´)
ルドマンの家で本棚を調べたところ、ラズエルが取り出した本のページにはキメラのつばさがはさまっていた。
ぼくはそれは栞か何かだろうと思った。
小説か、図鑑か、分身であるラズエルが何の本を手に取ったのかぼくにはわからないけれど、
キメラのつばさ(一度行ったことのある場所に飛んでいける)を栞として挟むなんてけっこう情緒的だ。
そしてラズエルはそれを何のためらいもなく道具袋に入れてしまったので、鬼か悪魔みたいなヤツだと思う。
違う生き物。
話す気分じゃないんだ、と僕は言った。「決して君が悪いわけじゃなくて、でも、話す気分じゃない」
彼女は眉をひそめた。「なにがどうあって、そんな顔をしてるのかは知らないけど、あなたが今酷い顔をしてるのは事実よ。私があなたを心配しているんじゃなくて、あなたが私を心配させているの。勘違いしないで」
彼女の声色は冷たかった。
僕はため息を吐いた。沈黙でやりすごせない。何かを話すしかない空気だった。
「これは行動じゃない。自分じゃどうにも出来ない。象は歩けば虫が潰れるし、木は育てば陰が出来る。それは全部仕方ないことで、僕のはそういった類のものと同じなんだ。象は歩かずにはごはんを食べることができないし、木も背が高くなきゃ日光を浴びられない。同じことで、僕も悲しい顔でもしてなきゃまともに生きていけない。それは全部仕方のないことなんだ。生き物としての生態」
生態、と彼女は口に出した。
「それは、私達の相性は最悪ってこと? つまり、生まれついての、生き物としての相性」
「そうかもしれない。巧く言えないけど、僕と君は戦場で殺し合おうがバーで語り合おうが結局は同じことで、ただ相性が悪いということだけが残る。そこには友情や愛情の一片もないし、ロマンもポエムもない。性格とかじゃなくて、生態上の相性。生まれついての」
彼女は僕の話の合間にタバコをくわえた。僕は吸わないから銘柄はわからない。わかるのは、僕は吸わなくて、彼女は吸うということ。やっぱり相性が悪い。
映画じゃないんだ、と僕は言った。
映画じゃないんだ、と彼女は繰り返した。「そうね。映画の中で出逢ったなら、もっと2人にはマシな配役があったかもしれない。例えば、王女と羊飼い」
僕を羊飼いにする辺り、やはり僕にとって彼女は嫌な女だし、僕を羊飼いにするということは、彼女も僕をその程度に見ているということなのだろう。
実際のところ、彼女は僕に良くしてくれる。頼めば昨日僕がサボった授業のノートも見せてくれるかもしれない。しかしそれは決して彼女の行動ではない。生態。彼女が僕に優しいのは、彼女にはどうしようもないことなのだ。彼女は悪くない。彼女は悪くないのだ、と僕はベッドの中で繰り返す。
ピピピ
ピピピと思いを飛ばすにはあまりにも大人すぎた。
できるだけセンチメンタルな曲を聴きながらそれでいて寝ないように努める。
できるだけセンチメンタルな曲を聴きながらそれでいて寝ないように努めるともうそれは誰かと何らかの話をするしかなくなる。
(´_`) ふにゃ
(*'-') どうしたの
(´_`) できるだけセンチメンタルな曲を聴きながら
(´_`) それでいて寝ないように努めています
(*'-') ふーん
彼女のアパートの前の国道を暴走族のバイクが走っていく音が電話の向こうから聞こえた。
ぼくらは意味のある会話をするにはあまりにも疲れすぎていたし月影はファイナンスでアレゴリーだった。
(言葉に意味なんてない)